地獄のジャイプール脱出とアグラへ
こんにちは、ジャイプールのホテルがクソすぎて、アグラへの移動はウキウキだった。
早速、早朝移動で電車移動から始まるが無事乗ることができるのか。朝起きることができるのかって感じ。
今日のおじいちゃん。とおばあちゃん。癒し。
朝6時半からアグラへ
ジャイプールからアグラへの移動日は6時に起床し、6時半に駅へと向かった。
朝はすごく寒いが、人通り、虫が少なかったため、ストレスなく駅に向かうことができた。
電車の確認をすると、delay timeが3分であり、初めて電車の遅れを体感。
1時間半以上前に着いていたので、特にやることもなくボーッとしながら、デジタル掲示板を眺めていた。
電車に乗り込む時は当然5.6人にこの電車であっているかと聞きまくり、自分たちの座席も聞きまくってから席に座った。この日も問題なく移動ができ、一安心。
しかし、20Rsで買った朝食と2日前の水を飲んだ後輩が腹痛に見舞われた。ものすごく面白い。他人の不幸ほど面白いものはない。
電車の中では、事前に調べていたサファリホテルを確認しつつジャイプールでの地獄を繰り返さないために入念にチェック。
絶対に清潔な宿を勝ち取るんだと心に誓って、電車を乗り続けた。
アグラ到着。大事な宿探し
アグラに到着後真っ先にSafari hotelへと向かった。
当然、目的は清潔感のある宿に向けてであり、安い宿を追い求めて、向かった。
到着後エントランスに向かうと、すぐに部屋を見せてくれた。
ベッドが綺麗で少しシャワールームが汚かったため、部屋のチェンジを頼んだ結果すぐに別の部屋を見せてくれた。部屋の決定をするとすぐに値段交渉。2人で750Rsを要求されたので、500Rsにしてくれと頼んだ。
ダメ元の交渉だったがすぐに600Rsに下がり、あまりに呆気ない値下げであったため、即決した。思い返すと、実はもう少し下がったのではないかと感じるが、とてもよい宿を取ることができた。
腹ごしらえのピザハット
チェックインと荷物を置いて、まずは腹ごしらえから
電車に乗っていた時から腹痛と格闘していた後輩の提案でピザハットで昼食を食べた。
2日前の水を飲んだからなのか、辛いものを食べたからなのかは分からなかったが、チーズまみれのピザで腹痛を緩和させる判断はインドでなければ出ない発想だと思った。
店員さんが流暢すぎる英語のため、全く聞き取れずにバカにしたような目で見られ、昼食を済ますとタージマハルへと向かった。
王道のタージマハル
タージマハルへと向かう手前で訳もわからずリクシャを降ろされたがとても渋滞するため2キロ手前で降ろされたらしい。
状況をつかむのが遅かったため、リクシャに乗り直すことは出来なかったが、体力も残っていたので歩いて向かった。
途中腹の限界がきた後輩を待つために軍人と話していたが、タージマハル周辺はまったりとした時間が流れていて、すごく和やかな気分になった。
タージマハル入場直後はガイドをする人ラッシュだが、全て切り抜けてタージマハル本体へと向かった。というか、英語で聞いても訳がからないので無駄だと決めつけていた。
タージマハル正面位置では自分達のしょうもない写真撮影をしまくった。特にキスをしている夫婦の記念写真共に後輩を撮るなどしょうもないことをしていた。
タージマハルでも記念写真勝負をして、勝利したが、正直少し飽きていた。
帰路、そして就寝
タージマハルの到着も出発も遅れていたため、日が暮れてさらに雨が降ってしまった。
雨宿りと飯を食うために入った飯屋ではたまたま日本人がいた。しかも同い年で卒業旅行とほとんど同じ神戸の大学生。ムンバイからデリーへ向かうコースでムンバイで出会う可能性があるらしい。しかも、初日から電車のチケットを1ヶ月取り違うなど相当ハードな旅をしてきたらしい。犬に追いかけられたり、野糞したりと30分くらいした話のおかげで自分達はまだ余裕がある旅をしている方なんだと元気付けられた。平気で夜も出歩いている話を聞いたせいで夜のアグラを歩いて帰る選択肢にした。
しかし、雨のせいで洪水や、汚い道に見舞われたため、断念。最初に捕まえたリキシャが安かったので、むしろ、昼料金より安く帰宅。ジャイプールとは違い、部屋でもなんとか入るwifiに感激しつつ綺麗なホテルで就寝。
最後に、インドの結婚式でお別れ
それでは、
ジャイプールでモテ期がやってくる
こんにちは、今日はジャイプールでの過ごし方について紹介したいと思います。
アベル城のおじいちゃん。やっぱり可愛いね。ものすごい映画の監督してそう。
まずは、アベル城
10時から遅めの行動
初っ端はアベル城へと向かった。アベル城は山の上にあるため、リキシャが600Rsかかると言われたため、ふもとまで送ってもらい、徒歩で登った。謎に210Rsで登るといったおっさんがいたが、途中で再交渉を持ちかけてきて結局値上げしてきたため、100Rsでふもとまで送らせた。
朝イチの運動に1.5キロの急斜面を登り続け、ようやく到着。出店のバナナで朝食を済ませながら猿と格闘。出店のおじさんvs猿の光景は少し面白かった。
やっとの思いで登りきったアベル城ではリキシャが登れない徒歩の道から土産と物乞いラッシュ。華麗にスルーしていたが、オールドデリーの子達に比べて余裕がありそうに見えた。まずここまで登ってきている時点で体力が残っているのではないかとも思ったし、周りに虫が飛んでいなかったのが、1番気になった。その後、適当に観光を済ませて、再び記念撮影対決。対決が飽きてきたので、10枚撮り終えたら、決めた場所に戻るというもので、先に帰ってきたが最終撮影時間では負けてしまった。後輩はラストのおじさんにfacebookを聞かれていたらしい。
観光地では大人気の日本人
現地の学生に大人気になりがちの日本人。ここでは、ここからさらに囲まれて100人以上の人が集まった。
泉の上に浮かぶ城:ジャルマハル
再びリキシャで次の観光地へ泉の上に浮かぶ城のところ
ここでも観光は適当に済ませて記念撮影対決。今回は20分以内にどれだけ多く声をかけられて撮影できるか、というもの結果は2対3でギリギリ勝った。城の写真を適当に撮るふりをしてボーッとしたふりをしていると、かかったように声をかけられる。そして、2度目に顔を合わせた時に笑顔で手を振ると電話番号を聞かれるという人生初の逆ナンに遭遇した。おそらくインドではものすごくモテるみたい。
早めの夕食
早めに17時ごろに夕ご飯を食べにいくと、自分たちの数十倍ランクの高いホテルに到着し、中を抜けた先にレストランがあった。
ホテル内にはショッピングもでき、感激しつつも2000Rsのシャツを見て自分たちなら10泊できると脳内計算をして店を出た。
レストランでは適当な巻物を食べ、ボーッと30分近く歩き帰宅。初めは感激しながら通っていた道もなにも感じなくなり、国道を横断するような気持ちで通っていた道も何の疑いもなく、横断していた。たかだか4日でこれだけ慣れてしまう現実離れした街並みは恐ろしいなと、改めて感じた。
早めの就寝
そしていつも通りに日が落ちるまでに帰宅し、21時には就寝する真人間生活を続けた。
最後にイケイケのインド人を載せておきます。
それでは。
デリーの出発とインド初の電車移動
こんにちは、今回は早朝にデリーを出発し、ジャイプールへと向かった時の話です。
余談ですが、こういうおじいちゃんって可愛いよね。
ゲストハウスを早朝に出発
翌朝は4時半に起床し、ボビーさんがタクシーを手配してくれていた。4時50分にはタクシーから出発し、再び汚い街を走行。
なぜか高速道路のような道が塞がれていたため、冷や冷やしたが、運転手が周りの住民に聞きながら、なんとか到着。この時間に目的なくぶらぶら歩いているのは日本だと酒飲みぐらいだが、この人達は何をしているのか、全く理解出来なかった。助けてくれたので、別にいいけど。
ニューデリー駅へ到着
ニューデリー駅に着いてからはドキドキの電車乗り込み。
プラットフォームの変更と遅延などをめちゃくちゃ警戒しつつ、デジタル掲示板を確認し、2番ホームへ。12015の電車番号だけを頼りにホームにいる人、列車に乗り込んだ人含めて5組くらいに確認してようやく安心。そして、もう一つ想定外だったのが予定通りに電車がホームにやってくること、定刻時刻の1分後に出発したこと。
チケット取得の件があったので、スムーズに事が進みすぎて逆に怖かった。
そして、ジュースと水と食べ物が付いてくるサービスの良さもびっくり。
列車の中ではボビーさんが最後にくれた朝食のサンドウィッチ。
本当にボビーさんは分かっていた。自分達がうまいうまいと食べていたものを入れてくれていた。ほんとに良いゲストハウスにあたったと痛感した。ありがとう。ごめん、ヒンディー語でありがとうがいまだに分からんよ。
ジャイプール到着、初の宿探し
電車を降りてからは宿探し
後輩が現地で買ったズボンを履いていたため、駅前で宿の押し売りラッシュ。自分には誰一人来ず、後輩にだけ畳み掛ける光景は面白かった。なんとかラッシュをすり抜けて目星をつけていたトニーゲストハウスへ、しかし想像以上に汚くて、自分が却下。後輩はセーフだったが、流石に無理だった。
そこからリクシャーで少し進んだもう一つの目星であるナヌスホテルへ、ここはさっきのゲストハウスに比べれば綺麗だったため、内見を済ませてから、決定。しかし、最初にトイレに行った後輩が詰まったトイレを見てからテンションげき落ち。自分はここで2泊するのかと思うとぞっとした。
結局、ロビーで相談してみても、ランクを上げないのであれば部屋は変えられないとのことだったので、ドリトミー用のトイレで我慢。これはかなり苦痛だった。
ちなみに、当然のごとく男二人でダブルのベッド。そろそろ慣れたよ。
激辛の食事
電車内とジャイプールで食べた食事はこんな感じ。カレーしかないものかと思ってたけど、カレー食べると下痢になるんよ。本当に。
時間潰しのジャンタルマンタル
ジャイプール1日目の観光はジャンタルマンタルへ行った。
観光客が特に多かったため、ここでも記念写真勝負。結果はドロー。星座や天文学についての展示であったがまるで分からず、結局後輩が日本人に話しかけるだけで終わり。
謎な時間だった。
次の観光地も体力の限界で適当に回って終了。適当に博物館入って見てたけど、銃ってかっこいいよね
謎のインド人「ハシモト」
帰ってきてから、地獄のシャワータイムを済まし、wifi環境が届かないため、ロビーで作戦会議。そこでやってきた陽気なインド人。名前を忘れたがハシモトと言っていた。
ジョークや日本語の使い方が達者でものすごく面白かった。結局、その人はリキシャの運転手であったため、いつもの営業トークが始まったが、強引なケチり方をするは事で華麗にスルー。ハシモトと別れたが、少し元気が出た。
ハシモトと写真撮っておけばよかった。
それでは。
オールドデリーの空気で鼻水真っ黒
こんにちは、今回はデリー滞在中に行ったオールドデリーについてです。
振り返ってみるとここの空気が一番汚れていた気がする。外から帰ってくるたびに鼻水は真っ黒だし、クレイジーな街、デリーって感じ。
早速の緊急事態、帰りの便が欠航
到着早々、帰りの便が欠航になってしまった。恐ろしき中国東方航空。
国際電話では爆発的に料金がかかってしまうため、日本にいる後輩に頼み、帰りの便の再予約をお願いした。
当然、オールドデリーでの買い物は後輩へのお土産ばかりとなった。
街並みと汚れ
オールドデリーの街並みも人もニューデリー以上に汚かった。想像少し超える汚さではあったが、前日のゲストハウスの周辺の方がはるかに汚かったため、驚きは小さかった。
昼からはメインバザールにて買い物。
色々値段を聞いて物色しつつ、質の良いかつ、安い店を選びそこから値切り交渉。
値切り交渉も楽しみの1つだったので、10Rsだけであろうとたどたどしい英語でなんとか意思疎通を図ってケチる繰り返し。
逃げのマクドナルド
お昼は逃げのマクドナルド
味もサイズも少しだけ大きく少し安い。さすがインド価格。味もしっくりこないインド品質。
寡黙な運転手
この日は時間通りにかつ、ゲストハウスの家の前におろしてもらったため、安全に帰宅。
この時の運転手は年配で寡黙な運転手であったため、こういう人が1番理想通りの場所と目的を果たしてくれるのだと、再確認した。
死ぬ気で取ったインドの電車のチケットとゲストハウス
こんにちは、インド旅行初日とデリー駅で取った、電車チケット時の話。
インドには学生の貧乏旅行のため 、合計20時間以上かけてデリーへと渡った。
トランジットの上海空港では6時間という絶妙に中途半端な時間のおかげでめちゃくちゃ寝不足のままデリーへと到着した。
ちなみにデリー空港は犯罪率が世界1位らしく、詐欺に合うケースが多いらしい。そんなことも知らずに適当に降り立った自分達は今考えるとかなりのツワモノだったと思う。
デリー空港からゲストハウスの自宅へ
デリーの初日はAirbnbで予約したゲストハウスの自宅へと向かった。
オーナーのボビーさんは日本語が話せるため、現地到着後はとてもスムーズにだった。
空港への到着が夜だったため、空港への迎えをお願いしていた。オプション料金となるため1000Rs+タクシー代(800Rs)を追加追加で支払ったが親切にATMや周辺情報なども教えてくださった。冒頭で書いた通り犯罪が多いので、金額は張ったが、正しい判断だった。
初日は出歩くことができなったため、晩御飯を振舞っていただいた(これもオプション料金とは商売上手)。
味の表現は難しいが、インドの味に慣れなければと必死で口の中に詰め込み続けた。すぐにたいらげてしまうとおかわり地獄にあった。なんて優しさの暴力を押し付けられ続けたが、とりあえず食事を終えて就寝準備へ。
そして男二人旅のベッドがこちら
Airbnbのページを確認してみてもベッド2台、ソファベッド1台。完全にやってんな。
共有のスペースに置かれたソファと自分達のベッドをAirbnbのページに入れてきやがる精神はむしろあっぱれ。結局滞在期間中の半分以上はこんな感じのベッドだった。
こんなところで心が折れていては始まらないので、我慢我慢。
というか、インド旅行の9割以上は我慢していた気がする。修行かよ。
インドの電車チケット売り場
2日目にニューデリー駅にいき、全ての電車のチケットを買いに行った。
日本でチケットの時間と列車番号、席を取ろうとしたが、払い込みが出来なかったため現地で取ろうという選択肢になった。実際に横でチケットを買っていた日本人女性も同じ現象だったらしい。
なんとかなるだろうの精神でチケット売り場を見つけた段階でテンションが上がっていたが、あまりの自分たちの英語力の低さに絶望したタイミングだった。
結果として理想的なチケットを取ることが出来たが、たまたまいた日本人2人それぞれ別の一人旅に二度と助けてもらい三時間の格闘の末、ようやくチケットを買うことができた。英語勉強しよ。
ついでの観光-インド門
その後はインド門とニューデリーの街をぶらぶらと歩いた。
インド門では、観光は2秒で終わらせて、他の旅行者に声をかけて記念撮影がどれだけ出来るか対決をした。
バッチリ3対8枚で圧勝した。
マダムに人気でおなじみ、半分以上がマダムとの写真撮影。
晩御飯がてらに出店みたいなところで飯の値段を聞いた結果、そのまま飯が出てきて100Rsを要求された。正直美味しくも量もなかったので、これがナチュラルなぼったくりなのかと、痛感した。
飯を食っていると写真を取ろうとの怪しい人たちがものすごく周りを取り巻いた。おそらく写真を撮り、高額で売りつける輩だった。おそらく日本語は理解できないだろうと思い、日本語でラーメン伸びるから嫌!など言いながら口論するのは、正直楽しかった。
この世の終わりみたいなデリー
そこから、日没ギリギリのリクシャー交渉
なんとか少し高めで捕まえた21歳のリクシャー運転手は勝手に観光名所を回って最終的に高めにぼったくろうとしてきた。しかも家の手前で降ろされた。当然、最初の交渉した値段だけを握らせて、半ば強引に降車した。
そこから15分ほど歩き、ボビーさんの家へと帰ったが今までで感じたことのない世界を体験した。周りは牛、糞尿、犬、人、色んなものが混ざりあっていた。ここでの15分間は体感で2時間以上彷徨っていた気分だった。
想像をはるかに超える場所で一生来ないであろうが、これから絶対に忘れられないくらいの光景だった。
この日帰ってきてから鼻をかむと、真っ黒な鼻水だったとか内緒。
インドのバラナシで腹を壊す
こんにちは、
今回は、ゴミ箱の中のような街、バラナシへ行った時の出来事を書いていきます。
はじめに
バラナシは聖なる川であるガンジス川(ガンガー)に面し古くから聖地として讃えられてきました。
ちなみに現地人にはガンガーというと「こいつ通ぶってるな。」と思い、ニヤニヤされます。(参照:地球の歩き方)
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また、路地裏の地面にはゴミと牛糞と、野良牛が平気で散乱。
こんなの日本なら大問題なのに、片付ければ良いだけというのがインド人。いろんな意味でさすがです。
右にはゴミ、左には牛と完全に道を塞がれた場合には建物の僅かな段差を利用して素早く通り抜けましょう。困っていると牛の脱糞シーンを見るか突撃されるかの二択です。
できるだけ早く立退くのがベストです。
そんなわけで、ゴミと牛には目をつぶって、良いところを紹介していきます。
ガンジス川(ガンガー)
やっぱりバラナシといえばガンジス川!
日本人宿のサンタナへチェックインをした後で荷物をおろし、ボートツアーへ
結局、自分は日中と早朝の2度ボートツアーにいきましたがどちらも綺麗でした。
ただ、日中に乗ったボートは適当にボートに乗り、反対岸まで連れて行かれるのみ。しかも、1人1000Rsというぼったくり。どれだけ値切ってもこれ以上は下がらなかったです。
この時、現地でできた友達と一緒だったのでしょうがなく乗りましたが、この友達が1ミリも財布を出さないときた。なんて観光客に厳しいのかと痛感しました。
おっちゃん平気でボート漕ぐのサボっちゃうし、自由人全開なインド。この環境がまた惹かれるポイント。
早朝のボートツアーはサンタナが斡旋しているツアーのため、日本語の説明付きでした。しかも250Rsとお手頃価格。ボートツアーはサンタナから行くのがおすすめかも。早朝は人も少なく、お坊さんたちが沐浴する姿が多く見られました。そんな中、一際異彩を放っていたのがこちら
インドというよりは太極拳を極めていそうなおじさんでした。
火葬場
バラナシの河原には上流階級用の火葬場と、下流階級用の火葬場の二つがあり、階級によって火葬される位置が変わるそうです。
火葬場での写真撮影は厳禁とされていましたが、ガンガンに他の観光客は撮影をしていました。
死期が近い老人などは家族でバラナシへやってきて、死後直後に火葬をするそうです。
日本でも終活がありますが、似たものなのか?
食べ物も食べずに死を待っているだけだそうですが、その後、天国に行けるとされるため、悔いは残っていないそうです。
文化が違うだけでショッキングに感じてしまいます。
ちなみに、大人の死者は火葬されますが、子供や動物などの死体は体を綺麗に洗われて川の沖へと沈められます。この死体の気泡が川の水面に現れます。匂いこそしませんでしたが、この川には多くの死者が眠っていると考えると中々ゾッとしました。
自分は少し水に触れましたが、めちゃくちゃウエットテッシュで吹きまくりました。なんか申し訳ありません。
火葬場の入場には寄付金が必要になるそうですが、何の考えずに火葬場に突入して見ました。結果、日本円価格で3万円ほど要求されてしまい、持ち金が全然足りなかったので、全力のダッシュで逃げました。聞いていた以上の額の以上の寄付金だったからごめんなさい。
そんなこんなで撮った写真がこちら
全く行くつもりがなかった火葬場の裏側ですが、ものすごい勢いで取り壊されていました。一瞬自分は紛争地帯にでも出くわしたのかと思うほど、荒れ果てていました。
ものすごくどうでもいい情報でしたが、インド旅行の中で一番恐怖を感じた瞬間でした。
殺人食料-ジャレビ
ここでインド旅行を狂わせかけた恐ろしい食べ物についての紹介。
バラナシは人口が多く、密集しているため毎日がお祭りのようでした。(物乞いもものすごく多かったです)そのため、出店がいくつかあったので、できるだけ綺麗な、安全そうな食べ物をチョイス。
見た目の味もよく、とてもおいしいお菓子でした。
と、これだけで終わらないのがインドの食事このお菓子を食べた夜中からものすごい腹痛に見舞われました。ちなみに一緒に行った相方は熱も出て、早朝のボートツアーに参加できませんでした。可哀想に(笑)
後々、調べてみると、インドでは揚げ物の油は棄てないそうです。熱を加えればオールOKみたいな考え方は捨てて欲しいですね。
ともあれ、自分はなぜか下痢下痢下痢の三連発だけで終了。日本なら大ごとになるところ、下痢なんて忘れて旅行を再開しました。
日本人宿-サンタナ
バラナシでの宿はこちら、地球の歩き方では常連のサンタナです。
海外旅行自体ほぼ初心者の自分達には他の日本人がいるだけで、とても安心できる空間でした。特に、日本人以外の旅行客NG、門限あり、美味しい朝、昼、晩ご飯を食べることができるこの環境、最高でした。郷に入れば郷に従えなどと言いますが、そんなことわざ日本だけ、インドにおいてそんなことを言っていてはメンタルが崩壊してしまいます。他の旅行者の方との交流、環境、全て最高でした。
また、インドに泊まるなら、迷わずサンタナ行くでしょう。
最後はサンタナの宣伝のようになってしまいましたが、バラナシは全てが楽しい街でした。今度インドに行くなら、バラナシで1週間いても楽しいかも。以上