かぶりつづけるハム

自由に書き続けています。インド、革靴、プログラミングに興味がある方です

マザーハウスで5歳のおじいちゃんに出会う

    

 こんにちは、特に予定していなかった最終日。

この日はサンタナで聞いたマザーテレサへ行くことにした。

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マザーハウス

次の日の朝からマザーハウスに行きたいことを伝えると、何人かいたため一緒に連れて行ってもらうことになった。この夜も色んな会話をしながら、シャワーを浴び就寝したが、ドリトミーの寝苦しさは最高だった。もし、これがインド初日であれば地獄だったかもしれないが、やはり環境に慣れたせいで、なにも感じなかった。

翌朝になると、自分達を含めて7人のマザーハウスへの参加者がいた。準備をしてマザーハウスへと着くと沢山の外国人観光客の姿があった。シスターらしき人が説明や歌の歌い出しをしてくれたが、全て英語だったので2割ほどしかわからず、とにかくパスポートが必要で同じ場所に居続ければ、誰かがやってくるということはわかった。悪戦苦闘しつつ、マザーハウスへ行くリーダー格と合流するとバスを乗り継ぎマザーハウスへと向かった。途中30分ほど歩いたり、どこまで行くのかと不安にもなったが、無事に自分たちのボランティア施設へと着いた。門番のおじさんは快く挨拶をしてくれた。

 

驚きのボランティア

中に入ると1200人ほどの男性障がい者が集まっている施設となっていた。ボランティア内容はとにかくふれあいながら、困った事があれば一緒に問題を解決するというもの。自分は選択ものを畳んだり、食事の準備、食事、片付けなどを特に行った。場合によっては足が不自由ならば一緒に階段を降りたりと言った感じである。年齢は10歳ほどから60歳以上の方まで幅広く居た。特にあまり見慣れないひさ日本人であったためか、とても受け入れてもらった。中でも、時計を見るのが好きみたいで、時計だけを引きちぎろうともしていた。ここにいる人たちは特に重度の方なのだろうが、様々な人達がいた。とにかく手を触ったり、じゃれあいなのかものすごい力加減で殴ってきたり、気持ちは小さな子供達と遊んでいる感覚でいた。この感覚で接することが正しいのかは分からなかったが、最も自分が受け入れやすい感情になったのはこの考え方であった

 

5歳のおじいちゃん

途中唯一英語を話せるおじいちゃんと話していると年齢は5歳だと言われた。これはジョークなのか、なんなのかこの国に来てから芽生えた警戒心があったが笑顔で会話していたので、話を進めた。結局すぐ眠ってしまったので、あとでもう一度行くと、次は67歳だと言ってくれた。これは自分に対して心を開いてくれたのか分からなかったが、少し嬉しかった。このおじいちゃんを見ていると英語という一つの言語を使いこなした上で自分の存在をうまく認知していたので、この方は何か違う雰囲気を感じ取った。しかし、この施設にお世話になる必要があるのか、先ほどの感情は本当に実在し、多重の人格を持っているのかは分からなかったが、とにかく1番気になった人物であった。その後も触れ合っていたが、実際の時間は2時間にも満たないほどであったが、とても長い間この地にいる気がした。食事の手伝いタイムになると、食事をスプーンですくうなどの手伝いをしていたが、係の人たちは乱雑で直接口の中に突っ込んだりしていた。片付けの際も強制的に片付けられていたので、とにかく口にすることができるものを摂取させられている時間のように感じた。ここの職員の人たちは日本の介護の何十倍も辛いだろうし、同情する面と唖然とする面が重なった。

ボランティアの時間は午前中で終了し、バスが途中まで行き、各自解散となった。

 

さいごに

マザーハウスでボランティアに行ってきた。

自分は半日だけの参加であったが、衝撃の連続であった。今まで介護の分野には目を向けたことがなかったが、深い関心を得ることができた。