かぶりつづけるハム

自由に書き続けています。インド、革靴、プログラミングに興味がある方です

ガヤのお寺の宿で悟りをひらく

    

  こんにちは、今回はブッタガヤのお寺に止まった時の話。

実は、ガヤにある日本寺には行けなかった。旅自体勢いで行ったのになんだかんだ回りたいところは回っていたから、次に行くための目的になった。このポジティブ思考が唯一の取り柄です。

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お湯が出ない修行のようなシャワー

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後輩とともに仏心寺に帰り、後輩は日本寺へ自分は仏心寺のシャワーを浴びた。当然水風呂だったので、日が落ちる前に入ったが、それでも寒かった。

その後日本寺に向かおうと思ったが、仏心寺のお坊さんに、もう今日は閉まるとの話を聞き、一緒にお茶を飲みながら過ごすことにした。この時平気で後輩をほっておくことになったが、インド的考えが働いたのか、なんの罪悪感もなく放置する選択をとった。

 

お坊さんのありがたいお話

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はじめのうちはこの旅であったこと、自分が感じたことをとにかく伝えた。

この時、この方は同じような話を毎日のように他のお客さんから聞いているのかもしれないが、初めて聞いたように受け止めてくれた。

日本寺に行っていた後輩も合流して次は

お坊さんが自分達にお話をしていただいた。

まずは仏教の教えや、宗教的な教えを取っぱらって、フランクに話を進めてくれた。

四苦八苦には苦しみが8個全てに意味があり、この世の苦しみは8個以外にないこと、情けは人の為ならずの話。インドと日本は明確に違うが日本は選択肢を遮断してしまうことにより安定しているように感じるが、インド人のように横にいるだけで話しかけてくれる存在の方が、より楽しい人生になる。など自分達が経験してきた内容と照らし合わせながらお話をしてくれた。1時間半ほどの会話ではあったが、この考え方は自分が悩んだ時、苦しい時にどう言った選択肢がいいのかと言ったことを間違えずに答えを出すことができる気がした。

インドの文化について

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日本人は苦しいことや人とは違うと思ったことを隠したがり、モデルなどのきれいと思われるものだけに金を払う。しかし、インドでは物乞いや、障がいがある人に対しお金を沸かすことを職業とする事で儲けている人がいる。これは間違っているわけではなく、こう言った人たちがお金を稼ぐ手段であり、人それぞれ自分ができることで生きるための手段を取っている。これこそが平等であり、日本における平等は考え方が違うことをあげてくれた。日本で住み続け同じ文化、同じ考えを持った集団のなかで生きていたため気付くことすらなかった内容だったが、インドに1週間以上滞在し、現地人の考え方や文化に慣れてきていたこの一瞬の期間だからこそ全ての内容を肯定してお話を聞くことができた。日本においてのいいところとして、とても平和であること、12時以降に夜出歩いても平気であることも述べていたが、これもインドに来たからこそ、より一層の説得力があった。

さいごに

明日の生活もなんとなくある日本に比べて、明日の生活は明日にならなければ分からないインドは刺激的で、自分が何をすべきなのかを見つめなおさせてくれた。

さらに辛いことはただ辛いわけではなく、自分がやりたいこと、やらなければいけないことの過程において現れる。必ずしも全てが楽しいわけではないし完璧な人生は誰も過ごすことができないのだから、挑戦をしろと言った考え方は今まで分かっていたがより一層のやる気となった。

このお坊さんとの1時間ほどの会話には何年分もの価値があり、似た話を聞いていたとしても、インドに初めてきて、インド文化に初めて慣れ始めた時だった時だからこそ全てが飲み込めた、なんともベストなタイミングであった。